














「四世秦蔵六」造 純銀槌目宝珠式湯沸 銀瓶 鉄持ち手
【サイズ】幅 約 15.5 × 13.3 cm 高 約17.7cm 重量377g
名工「四世秦蔵六」造りの名品になります。
世界大百科事典 第2版の解説
はたぞうろく【秦蔵六】 1823‐90(文政6‐明治23)
江戸末から明治にかけての鋳金家。山城国愛宕郡に生まれる。幼名米蔵。22歳のとき京都に出て2代竜文堂の弟子となり鋳造技術を学ぶ。23歳で師家を辞してもっぱら中国周漢時代の古銅器について撥蠟法を研究して,蠟型鋳造に秀でていた。また大和地方を巡歴し,古代の作品を観賞,和漢の古作品を研究した。孝明天皇の銅印,将軍徳川慶喜の〈征夷大将軍〉の黄金印を鋳造して名声をあげ,1873年宮内省の命により明治天皇の御璽(ぎよじ),国璽を鋳造してますます名声が高まった。
江戸末から明治にかけての鋳金家。山城国愛宕郡に生まれる。幼名米蔵。22歳のとき京都に出て2代竜文堂の弟子となり鋳造技術を学ぶ。23歳で師家を辞してもっぱら中国周漢時代の古銅器について撥蠟法を研究して,蠟型鋳造に秀でていた。また大和地方を巡歴し,古代の作品を観賞,和漢の古作品を研究した。孝明天皇の銅印,将軍徳川慶喜の〈征夷大将軍〉の黄金印を鋳造して名声をあげ,1873年宮内省の命により明治天皇の御璽(ぎよじ),国璽を鋳造してますます名声が高まった。
銀の輝きと槌痕模様が美しい湯沸です。丸みを帯びた宝珠形の端正で美しい造形も見事です。すっとした鉄砲口の注ぎ口にも名工の技が見て取れます。
摘みにはも宝珠形の造形と細工が施されています。取っ手は味わいある鉄地となっています。随所に手の込んだとても粋な作りの茶道具の逸品です。底に銘あり。共箱付き。
| 「秦蔵六」制作の銅器は,中国古銅器に学んだ青銅器ならではの深みのある輝きが特徴です。初代蔵六以来,中国古銅器の美しさに魅せられ,その写しを制作しながら積み重ねた技術研究の成果です。 | ||||
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まず見せていただいたのは,古代中国殷周時代の青銅器を基にした作品。 羊や牛などに似た怪獣のような饕餮(とうてつ)文や,生き物のように表面をはい回る渦巻状の線が複雑にしかし整然と配置されています。 模様の中にも模様が刻み込まれ,複雑な凹凸のコントラストが美しく,見ている内に吸い込まれるような感覚になっていきます。 |
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| このような器を作り出す秘密はどこにあるのでしょうか。 答えは蝋という素材。 蝋で造型できる物ならなんでも復元できるとのことで造型の自由度が高い制作方法です。 しかし制作する毎に,作った型を壊さなくてはならないので,大量生産はしませんが,それだけに精緻な作品が一品一品じっくりと制作されるのです。 (写真はいずれも秦蔵六作) |
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| ■ 蝋型鋳金の技術・材料 ■ | ||||
| 蝋形鋳金の主な工程は,縄巻き→土塗り→蝋張り→土塗り→型焼き→地金の溶解→流し込み→鋳上がり→磨き→着色・仕上げとなります。しかし,それぞれの過程で細かい手作業とノウハウがあります。 | ||||
| 縄巻きから土塗りの工程で,3回に分けて土を塗ります。最初は粗めの土に籾殻を混ぜたものを塗り,最後は細かい土で表面を整えます。 (写真左下:左から,蝋張り・土塗り3・土塗り2・土塗り1・縄巻き 写真右下:ろくろ板をあてて土塗りをする) |
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蝋張り用ろくろ板と土塗りの表面の間の隙間が,作品の厚みになります。厚みは作品や部分によって違いますが,大体2ミリほど(写真左)。 こうして蝋をはって表面を整えたら,先ほどと逆の順序で土塗りを行い,全体を土で覆います。これで型が完成します。 |
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| 次に型焼き。地面に煉瓦を積んで,型の大きさと数に合わせた大きさの窯を作り,炭で型を焼き締めます。 炭はナラとマツ(写真右)。それぞれ炭の性能が異なるので必要な温度と持続時間を考えながら配分するそうです。 |
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地金の流し込みは作業のハイライト。地金は1200℃ほどまで炉(写真左)で加熱し液状にします。これを「湯(ゆ)」というそうです。溶かす地金の量は型の大きさや数によってあらかじめ計算しておきます。 地金の溶解と型焼きは同時並行して行いますが,型の焼き上がりと地金の溶解のタイミングは合わせなければなりません。 型焼きでは,蝋を確実に流しきって型の土が十分に引き締まった時を見極めます。その決め手は土の色が「あずき色」になる時なのだとか。 そして,十分な流動状態になった地金を慎重に型に流し込みます。 |
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| とてつもなく高温の金属を扱いますから,非常に危険な作業です。流し込んだ金属が冷えた後,型を壊して器を取り出すまで緊張の連続,だそうです。うまくいったかどうか,湯が全体にきちんとまわっているか,蝋が残っていたために“す”が出来ていないか・・・・。 取り出した器が思い通りの姿になっていれば,ようやくほっと一息。 |
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| ところで,型に使う鋳造用の土は,東山から取れた粘土分を適宜混ぜて使います。 型は毎回作っては壊すのですが,その土は臼で砕いてふるいにかけて繰り返し何度も使うそうです。先代が集めていた原土は工房の上に大事に保管。材料も手に入りにくくなってきていて,先代が残してくれたもののありがたさを感じているそうです。 (写真左:型ばらし後の型の一部 写真右:鋳型用の土) |
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| しかし作業はここまでの段階でまだ半分。型から取り出した銅器の鋳込んだままの肌を磨き上げる工程が待っています。 (写真下:鋳上がり直後の肌) |
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銅器にヤスリがけを行い,サンドペーパーを繰り返しあてて金属本来の肌を出していきます。段階によって細かさをあげていきます。 その後,表面の仕上げにかかります。酢酸と硫酸銅を混ぜた液につけ古色仕上げにする方法の他,塗金仕上げの方法もあります。 |
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| ■ 受け継がれる形・文様 ■ | ||||
| 秦家には,饕餮文をはじめ,代々が制作した文様の原型が引き継がれています。 (写真下:秦家に伝わる文様型) |
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| 温めて柔らかくした蝋を,型に押しつけて文様を写し取り(写真右),本体に貼付けて全体を整えます。 | ![]() |
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| 本体はパラフィンを用いて作りますが,文様の部分は特に繊細に仕上げるために,蜜蝋と木蝋と松脂を配合した昔ながらの材料を使います。これを硬すぎたり柔らかすぎたりならないよう状態を見ながら作業します。 (写真左下:左から蜜蝋,木蝋,松脂 写真右下:蜜蝋,木蝋,松脂を混ぜて練ったもの) |
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| 本体が筒状の場合に用いるのがろくろ板。ろくろ板を当てて回転させながら,土塗りしたり蝋張りをしたりして,形をつくって行きます。 本体形状のガイドとなるろくろ板は何種類もの形状があります。先代以前から引き継いだものだけで,工房の棚がいっぱい(写真下)。これだけたくさんありますから,まだ詳しく見たことのないものもあるほどだそうです。 |
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| ■ 銅器の魅力を今の生活に■ | ||||
| 饕餮(とうてつ)文で飾られた中国古銅器は,はるか3500年前に製作されていたもの。エネルギーが渦巻くような宇宙的なデザイン。こうしたものを作りあげる精神はどのようなものだったのか。 「古代中国の強大な権力者による社会構造の中でこそ作られたもの。これほど強い集中力をもったすばらしい制作は今ではなかなかできないものです。」と秦さんはいいます。神秘的ともいえる器は権力者による祭祀の道具であったとも言われますが,神との交信のためとすればなるほどと腑に落ちる。 この力強い独特さを持つがゆえか,審美眼をもつ富裕層が少なくなったためか,現在は大口注文が減少し厳しい状況にあるといいます。 |
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| あらためて作品を見てみました。 饕餮文が放つ重厚で渋みのある金属の深い緑は,町家の室内に置いてみると,木の柱や和紙の襖の柔らかさの中にしっくりと馴染みます。 文様を眺めていて広がっていく想像の世界に飽きることがない。なぜか時がゆっくり流れるような気がします。 |
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一方,秦家独自の塗金で仕上げた器の表面は明るい緑青色。液に付けっぱなしにするのではなく,液を塗り重ねたり,時には藁束で刈安を塗り加えるなどして,ニュアンスのある色合いに仕上げています。 伝統的な木造住宅が少なくなり,コンクリート造に西洋風の内装が一般的になってきた昨今,「現在の明るい照明の下では落ち着いた色にも華やかさがある仕上げのほうが合うように思います。」 |
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| 中国古銅器の再現という秦家の銅器制作の伝統を守りつつ,現代生活にとけ込む銅器の創作にも取り組んでおられる秦蔵六さん。 古作から学び今の製作に活かすことは,忘れかけた美やこころを今の生活に取り戻すこと。だとすれば,秦さんの仕事はまさにそれだといえるのではないでしょうか。 |
![]() < 秦蔵六さん > |
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< 秦蔵六さんの工房 > |
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四代秦藏六
明治三十一年(1898年)出生于京都;二代秦藏六的五男,与三代秦藏六一同师事于二代;昭和十九年(1944年)继承为四代秦藏六;曾任技术保存园资格,京都金属工艺协会长;昭和五十九年(1984年)殁,享年八十六岁。

















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