
富岡鉄斎
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1.略伝 |
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1.1 誕生~幕末期
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| (1)賛文 鉄斎は「私の画を見て下さるなら、第一に画讃から読んで貰いたい。私は意味のないものは描いてゐないつもりぢや」と云っている。 しかし、この賛文は、専門知識が豊富な学者でも簡単には読めない。 第一に文字が大変読み難い。 鉄斎美術館のスタッフですら、3日も4日もああでもないこうでもないと悩むらしい。書き癖は年齢とともに変化し、古字、篆書、隷書など、様々な書体を自在に使い分けている。しかも脱字や誤字がままあるので、文字が読めたとて、賛文を理解できるとは限らない。原典を当たる必要があるが、鉄斎が出典を明記している場合でも、いざその文献を当たっても目指す文章が見つからない事があるという。 鉄斎は厳密な学者というのではなく、ちょっと粗忽なところもあって、原典を一瞥しただけで賛文を書き下ろしたような気配があるという。 鉄斎が依拠した文献のほとんどは手元に蔵されていたが、その富岡文庫も散逸し、多くは稀覯本となっており、研究者が見たくとも簡単には実現しない状況にある。 この状況を憂い、鉄斎の作品の蒐集家である清荒神清澄寺の坂本光浄和上が昭和41年山内に鉄斎研究所を創設し、本格的賛文研究委員会を発足させた。その成果は昭和58年までに『鉄斎研究』として65号まで刊行され、一旦休刊。平成元年に再開されたが、平成8年の71号でストップしたままになっている。 (2)描き方 鉄斎は晩年には絹本はめったに描かず、ほとんど紙本で描いた。 描き方について孫が、次のように書いている。 「紙に描く時は、くるくると巻いた紙を先ず上のほうから二尺程延ばして描き始め、描き終わった部分は上に巻き込み、しだいに下のほうまで描いていきます。最初は淡墨で主要な部分を一通り描きます。次にまた紙の上部から、彩色の場合なれば薄い代緒や青い色を塗り、しだいに濃い墨や彩色を加えていき、最後に宿墨で強い調子をつけて完成するわけで、その間に紙を全部拡げて画の調子を見るということもなかったようです。 鐵齋が画を描くところを見ていると、『胸中の山水を写す』という言葉が本当であることが理解されます。祖父は画家としては速筆の人だと思いますが、たとえ水墨の画でも幾度も、筆を重ねて画に密度がありますから、それほど簡単にできあがるのではありません」。 (3)書癖 書籍市には朝一番に駆けつけて競争相手を出し抜き、書店某が漢籍を買い付け帰国したと聞けば、公刊前に目録を見せて貰い注文してしまう。書物が届けば「小包の紐を解くのももどかしく、手に取って、目に撫で、手に撫でて後、おもむろにに開いて繰り返し楽しむのであった。 そうして心ゆくまで見た上で、傍の蔵書印「画禅庵」の大きいのを表紙に捺したり、かつて陶庵公から贈られた朝鮮の五色の紙の中の紅色を適宜に切って、何か書いて貼り付けたり、書物によっては奥書きをしたりして、『こうしておけば子孫が困った時の売り代になる』と私を顧みて微笑したこともあった。そうして幾日か座右に置いて充分鑑賞した後、一応書庫に納めるのであった。」と、謙蔵の妻・とし子は書いている。 鉄斎は蔵書にどんどん手を入れた。 愛蔵者の手垢の付いた、文字どおりの手沢本である。 たとえば、右の写真の『茶話指月集』には、利休の墓のスケッチが描き込まれている。息子の謙蔵も、父に輪をを掛けた愛書家で、鉄斎の画がもたらす豊かな資力をバックに稀覯本を買い漁った。 目の利く謙蔵の収集品には、国宝『王勃集』をはじめ一級の善本が数多く含まれていたが、親子二代で築いたこの富岡文庫も昭和13年、ついに売り出された。昭和期最大の売りたてといわれ、総売上げは記録破りの15万8千円であった。(4)蘇東坡 鉄斎は、同じ12月19日生まれであるのを誇りとして「東坡同日生」の印を用い、東坡遺愛と伝える「蝉硯」や、東坡が作らせたという「東坡法墨」も所持する熱中ぶりであった。 また「聚蘇書寮」という室号をつけて、東坡の著作や関連文献を熱心に蒐集し、中国では失われた「東坡先生年譜」も、筆写本を秘蔵していた。 ![]() 蘇東坡すなわち蘇軾(1036~1101)は、北宋を代表する文人にして官僚であり、筆禍事件で死罪の危機に瀕したかと思えば、天子側近に取り立てられ、はては政争に巻き込まれて流罪となる。 そういう波瀾に富んだ生涯を、しかし余裕たっぷりに愉しみ、〈春宵一刻、値千金・・・・〉の「春夜詩」や「赤壁賦」をはじめ不朽の名作を残した。食にもこだわり、東坡肉(トンポーロー)など彼の名を冠した料理が100種以上もあるとか。 鉄斎は、生涯にわたり東坡像を夥しく描いていて、大正11年には『百東坡図』なる画集も刊行した。 同一人物で百点もの図が描けるというのも、東坡の逸話がやたらと豊富だったからであろう。 |
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| 以下の作品の画像の多くは、収録作品が最も多い『鉄斎大成』(全4巻)からとっているが、残念ながら昭和年の刊行であるためであろうが、画質が極めて悪い。 近年の展覧会画譜所載の画像に逐次置き換えていく予定。 なお、賛文の要旨は『鉄斎大成』をもとに記述している。 | ||||||||||||
| 3.1 20歳代~40歳代 67件 | ||||||||||||
| 3.2 50歳代 46件 | ||||||||||||
| 3.3 60歳代 57件 | ||||||||||||
| 3.4 70歳代 97件 | ||||||||||||
| 3.5 80歳代 - I (80~83歳) 87件 | ||||||||||||
| 3.6 80歳代 - II (84~86歳) 72件 | ||||||||||||
| 3.7 80歳代 - III (87~88歳) 87件 | ||||||||||||
| 3.8 80歳代 - IV (89歳) 36件 | ||||||||||||
4.関連リンク |
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